先日家の郵便受けに入っていた10/5付のへぐり民報(共産党の機関紙、家は党員ちゃうねんけど投函されてる)に教育委員会の先生が平群の歴史の講演会を開いたと書いてありました。

 それによると、

平群という名は、古墳時代飛鳥時代の都からみて、「辺」に所在したことから、「辺国(へのくに)」→「辺郡(へくり)」→「平郡」→「平群(へぐり)」となった。
・矢田丘陵はかつて平群山と呼ばれており、古事記万葉集平群山の名でしばしば詠われている。
平安時代から平群郡は今の生駒郡郡山市生駒市の南部を含む広大な地域であった。
万葉集に詠まれる「たつた」は主に「たつた山」で「たつた川」が詠われるようになったのは平安時代以降。
在原業平の「千早ぶる神代もきかず竜田川から紅に水くくるとは」で、竜田川→紅葉が連想されるが近世前半には紅葉はほとんどなかった。
・江戸時代、十三街道を利用した観光の広がりで宿場町竜田が定着し、古歌にちなんで楓が植樹されはじめ、明治以降も補植された。
竜田川信貴山城や椿井城の最前線になったり、梨本が水運の集積場となっていた。

だそうです。

 「へぐり」と言うと発音しにくいからか、人を困惑させることが多いですが、それでも当初のまま「辺国(へのくに)」でなくて良かったと思いました(笑)。「どちらにお住まいですか?」とたずねられて「へのくに」とは答えたくないですもの(笑)。

 要は名前からして元々辺境の国だったということです(爆)。それもとんだ昔から。

題名の割りに色々書いちゃいました、今日の日記。