空爆と空襲

 最近友達の日記の中で、「今マスコミで使われている『空爆』って言葉って、『空襲』と同じことだよね。」と書かれていた。
確かにその通りだ。他所の国に行って、下に誰がいるかも本当には確認しないまま、無責任にどんどん爆弾を落としている。
アメリカは、中東で空襲を続けているのだ。しかし「空襲を続けるアメリカ」とか書くと、日本もかつて空襲されているし、
被害者で御存命の方もまだたくさんおられるし、アメリカって今もひどいことしてるよねという強い印象を与えることだろう。
だから空襲とは別の空爆という言葉でお茶を濁しているのではないかと、そういう趣旨であった。


空爆で落とされる爆弾の下には、かつての日本に対してなされた「空襲」と同じように、
戦う意志も術も持たない、単に平和に暮らしたいだけの一般市民もたくさんいるのだと思う。
殺されねばならぬような何の罪もなく、ただただ状況の犠牲になって焼き殺されたり大怪我をさせられている人達がたくさんいて、
自分達の政府はその行為の主体となっている国家の一番の同盟国であるということを日々思い出し続けることには、痛みを伴う。