暴動ではなく、蜂起

 朝の民放のテレビ番組。チベットのことが、北京オリンピックの不安要素の一つくらいにしか扱われていないことに違和感。
チベットのことを紹介すると言いながら、中華人民共和国政府によるチベット侵略の歴史については触れてさえいない。
スポンサーの大企業群が、北京五輪の利権に手を染め、中国に深い利害関係を持っているとメディアもこうなるのだろう。
中国がチベットを軍事力で侵略したこと、その後たくさんのお寺を壊して僧侶を殺したり尼僧を強姦したりしたこと、
罪のない人を拉致し、拷問して、死に至らしめたこと。チベット文化を破壊する目的で、漢民族回族を移住させ続けていること。
仕事を漢民族が独占し、チベット人労働者は漢民族の労働者よりはるかに安い賃金で働かされていること。
そういったこれまでの経緯を抜きにして、「チベットでの暴動」なんて言葉で済ませてほしくないものである。


チベット人側からの主張、たとえば、チベット証言集のようなものにも、
しっかり目を通し、参考にした上でこの件を考える必要があるのではないかと思うのであった。


その点、もわっとした天気 - トウキョウタルビの「誰の言葉か?」という問いかけはまさに的を得たものだ。
「暴動」と言う言葉、誰が使っているものなのか。誰の立場から見たら、この現象が「暴動」に見えるのか。
「暴動」という言葉を使っているメディアが、誰に金をもらって誰のために働いているのか。