小さな悟りを積み重ねる

 スリランカで初期仏教を学び、日本でもう随分長いこと仏教を教えているアルボムッレ・スマナサーラの本。悟りにも一気にドカンと悟る大悟と少しずつ悟っていく小悟があるそうで、この本は後者の小悟をお勧めしているみたい。


ページを開いて出てくる言葉は、仏教の専門用語等はほとんどなく、簡潔な説明が殆ど。


・人が考えるのはバカだからである
・人生は尊いものではない
・不安は放っておけばいい
・「諦める力」が幸福をもたらす
・生きることに本来自由はない
・極端なものは心の病。その真ん中もやはり病
・迷った時の選択はどちらに行ってもかまわない
・「自分が一番」という秘かな思いを捨てよ
・たとえ人生に意味がなくても楽しめる
・過去の経験と記憶は思っているほど役に立たない
・空しさの感情は欲が大きいから起こる
・矛盾を当たり前として生きる


読んでて気になった言葉を抜き出してみたけど、こうして見ると、結構脱力系な本かも。
33〜34ページでは、人生は紙コップだと思ってくださいと説法することがあると書かれています。

「人生を紙コップだと思ってください」
私は説法するとき、そんなふうに言うことがあります。
べつに紙コップでなくても、割り箸でも構わないのですが、
「人生にあまり価値を求めすぎてはいけないよ」
という意味です。
紙コップでも割り箸でもいったん使われると、それで終わり。
人が使った紙コップや割り箸は、誰も使おうとはしません。一回使われたら、価値がなくなってゴミ箱に捨てられてしまいます。
私は、人生もそう見るべきだと思うのです。

この部分の後で、人生を尊いと思うのは、紙コップに金の糸を巻いたり、割り箸に宝石をつけるようなものだと書かれています。割り箸は割り箸程度の仕事ができればいい。人も同じ、というのが著者の物の見方のようです。


それで、そんなこと言われたって、すらすらいろいろ諦められねーよって思うと思うのですが、著者の他の本によると、生き方にコツがあったり、ヴィパッサナー瞑想したり、怒ったり欲張ったり妄想することを避けたりとか、いろいろ具体的な方法があるそうです。この本にはその辺の解説が詳しく載っていたりはしませんが、それは新書の限界というものかもしれません。


 新書300冊計画の38冊目。300冊というのも大きすぎる目標なのかもしれないと思ったりするのは、この本の影響なのだろうかどうだろうか。