大阪アースダイバー

 中沢新一の書いた大阪本。
歴史の中の大阪、現代の大阪、どちらかに留まるのではなく、両者が互いに交錯していく雰囲気。
ミナミとキタという文脈で語られることの多いこの街の、東西の軸に非常に注目しているのが特徴。
それは生駒山から流れてくるラインなのだと著者は言う。


海民、渡来人、物部氏・・・大阪の様々なルーツがいきいきと描かれている。


四天王寺、淀川河口、船場、千日前、新世界、あいりん地区・・・
地名としては知っていたり、よく行ったりもするところだけど、その重層的な歴史については余り知らなかった。
大阪の外縁、河内、堺、岸和田についても、それぞれに異なるルーツが、詳しく記述されている。
特に河内についての記述は注目に値すると思う。たとえば、p.160では

 大阪のもっとも古い文化層は、生駒山麓に残っている。そこに弥生系文化を携えた人たちが渡ってきたときには、狩猟をおこなう縄文系の人々が住んでいた。そして、このふたつの人々は入り交じって、河内湖の水辺近くに水田を拓いて、縄文と弥生のハイブリッド文化を発達させた。日本人は過去の文化遺産を一掃して、その上に新しい文化をつくるやり方を好まない。過去の遺産を自分の中に変形して組み込みながら、新しいものを作りだすのが得意である。河内文化も、大いにこの特徴を生かしてきた。このような理由で、河内の「原人」のことを大阪先住民(Osaka Aborigine)と呼んでいい。
 河内の基層文化は、「縄文系の狩猟採集文化」と「海民系の海の狩猟文化」と「弥生系の稲作文化」のハイブリッドとしてつくられている。そのためそこには、農民の世界とはいささか異なる心性が育った。農民の生業は一種の「計画経済」である。四季の変化に合わせて、暦どおりに作業が進んでいくのが、農民の理想である。そのため農民はがいして律儀な生き方を好む。ところが狩猟はギャンブルの要素の強い生業である。海でも陸でも、狩りがうまくいくかどうかは、なかば「運まかせ」、そこからは計画によらない偶然なものへの偏愛が育った。

と書かれている。そして河内で愛されていた闘鶏についての言及が続く。その後には死者を巻き込む河内音頭についての話。どうしても、ちょっと謎の地域に思えてしまう河内が、読んだあとは、ほんの少し謎が解けて親しみやすくなったような気がした。


古代までとどく歴史の深みから大阪を語った本として、お勧めの一冊。

大阪アースダイバー

大阪アースダイバー