苦行詩聖ミラレパ―ヒマーラヤ山の光 (河口慧海著作選集)

苦行詩聖ミラレパ―ヒマーラヤ山の光 (河口慧海著作選集)

苦行詩聖ミラレパ―ヒマーラヤ山の光 (河口慧海著作選集)

 チベット仏教でミラレパといえば、知らない人はいないビッグネームで、
もちろんこれまでにミラレパの人生や教えを伝える本が何冊も出版されてきている。
そして今年の4月に新たに出版されたこの本、「どうして今頃?」と思いきや、
なんと翻訳者が河口慧海で、チベット語原書からの翻訳という本格派。
amazonの商品紹介には、このように書いてある。

内容紹介


チベットの聖者ミラレパの本格伝記!
苦境の生い立ち、母の復讐心、妖術への傾倒…やがて魂の師父と出会い、極限の苦行を経て至高の聖者に…
チベット仏教4大宗派の1つカギュ派の聖者にして、チベット古典文学を代表する詩人としても広く愛されるミラレパ。その数奇な生涯と求道の遍歴、そして孤高の境地が詠み込まれた珠玉の詩作を、読みやすく再編! 名僧ツァンニョン・ヘールカの著したチベットの古典『ミラレパ伝』を原典として、日本人初のチベット留学者・河口慧海による本邦初訳! チベット学、仏教・密教学、ヨーガ学に必携!
(原書名『苦行詩聖ミラレエパ―ヒマーラヤ山の光』)


著者について


河口慧海(かわぐち・えかい) (1866-1945)

仏教学者、僧侶。大阪府堺市生まれ。哲学館(現・東洋大学)、黄檗山万福寺に学ぶ。大乗仏教の原典を求め、1897年よりインド・ネパールを遍歴の後、単身チベット探検を敢行。1901年(明治34年)日本人で初めてチベットの首府ラサに到達する。1913年(大正2年)2度目のチベット入りを果たし、ネパール伝サンスクリット(梵語)仏典、チベット大蔵経等を将来する。帰国後、大正大学教授。我が国の西蔵学(チベット学)・印度学(インド学)の先駆として活躍。著書『西蔵旅行記』(チベット旅行記)は現在まで広く読み継がれている。


原著者:ツァンニョン・ヘールカ (1452-1507)
Tsang Nyon Heruka (gtsang smyon he ru ka)
チベット仏教カギュ派の僧。法名サンギェ・ギェルツェン。風狂密教行者すなわち「ニョンパ」として知られる。ミラレパをはじめとする先師の聖跡を巡って修行し、『ミラレパ伝』の他、『マルパ伝』などを著す。

 悲しすぎる子供時代、黒魔術への傾倒、マルパとの出会い、
そして弟子として受け入れられるまでの信じられないほどの苦労、
密教行者としての数々の逸話など、この本ではどんな風に描かれてるのかな?


翻訳者の河口慧海の気概が感じられるものとして、河口慧海日記の中のロプサン・ゴンポとの問答がある。


 彼らに法呪を賜って、彼らの去りし後、尊者余に種々のことを問う。
大いに余の素性を疑へるものの如し。



彼また曰く、汝は飲酒、肉食、非時食せずと。果たして然るか。
我曰く、実に然りと。
彼また曰く、汝は劫賊に遭い、飢餓に迫り、猛犬に噛まるる等の難に遇うと。実に然るか。
然りと。
曰く、何のためにかくの如き困難をなすと。
曰く、仏道を修行して一切衆生を済度せんがためなりと。
曰く、何の原因を以て衆生を度すと。
曰く、余に原因なし。衆生の苦患を受くるに因ると。
曰く、衆生を見るやと。
曰く、我に我なし。焉んか衆生を見んと。
彼また曰く、汝は女色の煩悩を受くるやと。
曰く、前来これがために苦しみしことありし。
いまや三宝の力に因りてこの煩悩を受けずと。
彼また曰く、汝盗賊に遇いしとき彼の賊を怖れしか。または憎みしか。また彼の盗まれし品に心残りするか。
曰く、我と我所なき真を知りし余は何ぞ失品に心残りせんや。況やまた何ぞ彼を恐れん。
(以後p.112)
しかして彼を憎まざるのみならず、ただ彼が前世の悪業力に因りてこの卑陋なる業をなさざるべからざるは憐憫すべきなり。彼の将来はかくの如き悪業を棄てて仏道に入る人となれと願ひきと。



かく種々の問答の後、彼は少しく疑念を解きたるものの如し。しかして彼は茶[パッカ]一、焼麦粉、米、乳油、マッチ三個、袋四枚、銅鍋、砂糖等、およそ実価五十タンガ[一タンガ三十銭]を与へぬ。



しかして彼また問うて曰く、もし強盗来たりて汝を殺さば如何と。
曰く、殺さば死なんのみと。
曰く、死して衆生済度をなし得るか。
曰く、得るなり。
曰く、いかにして得と。
曰く、ふたたび生まれて宿願を全うせん。
曰く、汝いかにして中有の難を超えて能く再生するか。
曰く、我今仏法において疑念なく一心法界の妙を信証せり。故にただ今中有なし。未来に中有なるものあらんやと。
彼またまた曰く、死の怖れある険なる西蔵土の行路を取らんよりは、汝のかつて来りしトルボ山道を取るの安全なるにしかずと。
余黙然たり。
彼再び問うて曰く、汝いずれの路を取るかと。
曰く、西蔵土山道を取らんと思うと。
云く、これはなはだ好からず。死の怖れあればなりと。
曰く、本来無一物いずれの処にか死の怖れあらんやと。
彼黙す。



しかして話頭西蔵土風の仏教問答に移りて日を終ふ。

こんなやり取りがチベット語でできてしまう語学力もすごい…戦前でチベット語学べる環境って、そんなにはなかったんじゃないだろうか。今でも英語や中国語ほど教材や学校が充実しているわけではないのだから。