ダライ・ラマの修行

 ひさしぶりに、ダライ・ラマ14世の本を読んでいた。

ダライ・ラマ“心”の修行

ダライ・ラマ“心”の修行

東京講演の、さとりへ導く三つの心ー『修行道の三要素』と、
アメリカ講演の、菩薩としての生き方ー『入菩薩行論』第八章禅定が収録されている。
両方ともなかなか興味深い内容なのだけど、特に後半の入菩薩行論の言葉が面白く、
好きなのを抜き出してtwitterで呟いてた。

 心を安定させるためには、ほめられたりけなされたりする状況において、
自分がどのように対応しているかということを、自分自身を証人としてはっきりと見届けなければなりません。
ダライ・ラマ14世) p.184
約10時間前 webから


二二 有情はそれぞれ異なった関心や気質を持っているので、
たとえ勝利者[仏陀]でも彼らを喜ばせることはできない。
私のような劣った人間に、どうしてそれができようか。
だから世間の人たちと[友人になろうという]思いを捨て去るべきである。p184
約10時間前 webから


二一 [陰で]私をけなす人がいるのに、誰かに[面とむかって]ほめられたかといって、何故私は喜ぶのか。
私をほめる人がいるのに、誰かにけなされかたからといって、何を悲観することがあろうか。(p.183)
約10時間前 webから


二〇 ものや財産もたくさん得たし、名声も良き評判も得たけれど、
[死ぬときには]集めたものや名声を持って、どこへ行くのかまったくわからない。(p.182)
約10時間前 webから


一九 それゆえ賢者は、[尊敬を得ることに]執着しない。
執着することから[悪趣の]恐怖が生じるからである。[執着を感じる対象は]本来捨て去るべきものであることを、
揺るがぬ心でよく理解するべきである。(p.182)
約11時間前 webから


一八 つまり、[何がためになる行いか知らぬ]まったく無知な心が、何と何に執着を感じても、
それら[の執着の対象]を積み上げた千倍もの苦しみが[結果として]起きてくることになる。(p.181)
約11時間前 webから


一二[凡夫は、自分より]すぐれた人には嫉妬して、同等の人には競争心を燃やし、
[自分より]劣った者にはおごり、ほめれば傲慢になり、快くないことを言うと怒る。
どんな時にも凡夫から有益なものを得ることはない。(p.178)
約11時間前 webから


一〇 一瞬にして友となり、すぐにまた敵にもなる。
喜ぶべき[善き行ないに対しても]怒るので、凡夫を喜ばせることは難しい。(p.176)
約11時間前 webから


二三 有情は、ものや財産のない人たちを軽蔑し、ものや財産のある人には悪口をいう。
本来つきあいにくいこのような人々から、[私に]喜びが生じることなどどうしてありえようか。 (p.184)
約11時間前 webから

昔の書物ではあるけれど、やはり古典になるだけあって、現在の人間にもそのまま当てはまることたくさん。


『有情は、ものや財産のない人たちを軽蔑し、ものや財産のある人には悪口をいう。
本来つきあいにくいこのような人々から、[私に]喜びが生じることなどどうしてありえようか。』


これなんか、今の世の中もそのまんまじゃないだろうか、と思ったり。


『[陰で]私をけなす人がいるのに、誰かに[面とむかって]ほめられたかといって、何故私は喜ぶのか。
私をほめる人がいるのに、誰かにけなされかたからといって、何を悲観することがあろうか。』


こちらは、覚えておくと人からの評価にいちいち振り回されることが減るかもしれない。
一つ一つの出来事に冷静に対処していく助けとなる言葉だと思う。
良い本なのにamazonで新品が売ってないのだが、amazonマーケットプレイスで出品があるので入手は可能。