昨年末のChikirinの日記を読んで思うこと

 ふとChikirinの日記の、昨年最後の記事を読んでいて思ったことを。
あなたの文章を私は読んでいます - Chikirinの日記

残念ながらちきりんブログはもはや匿名ブログとはいえません。リアルな私を知っている人でこのブログを読んでいる人はたくさんいます。当然そういう人に読まれることを意識して書いています。けれど、誰にも言わず、完全な匿名でブログを書いている人もいるし、書くこともできるでしょう。

 ちきりんさんとはくらべものにならない閲覧人数の少ないはてなダイアリーだけど、
リアルな私を知っている人でこのブログを読んでいる人がいて、私も幾分は読まれることを意識して書いている点では
同じだと感じました。慣れてしまっているので意識していないけど、それで素直に書けていないこともあるかな。

完全に匿名でブログを書くと、自分の思うことをそのまま素直に表現できるはず。誰にも遠慮せず、誰にも羞恥心を感じず気遣いもせず、思うがままにかけるはず。そのことが書き手の精神に与える安定剤としての役割は決して小さくないのでは?とちきりんは思ってます。

後から自分が過去に感じていたことを振り返ることもできるし、将来誰かに自分のことを理解してほしいと思った時に活用できるかもしれない。「自分が考えてきたことの記録」「自分が感じてきたことの記録」を、他者の目を気にせずそのままに保存しておくことは、自分の存在の記録であるといえます。

 これも全く同感。思うがままにありのままに記録を残すことが目的なら、
完全な匿名が一番望ましいかなと思います。非公開でもいいかもしれないけど、万一何かのはずみで死んだときに
家族に読まれるかと思うと書けなくなるので、部屋に保管する紙媒体日記(要はただの日記)は抵抗があるかな。


しかしこの日記の場合、単に匿名にしたのでは意味がないところもある。
たとえば、特定のイベントに特定の自転車で参加して特定の人とお話して特定のレストランでランチして
美味しかったりするわけなのですが、固有名詞を出すと結局誰なのか分かってしまい元も子もないところも出てくる。
自転車でなくても、参加者が限定されるイベントであれば同じでしょう。


だから自分の中で、リアルな自分を通じて人にお知らせしたいことと、匿名で書きたいことを、
はっきり分けて、完全匿名日記を別のところで書けたら良いのだろうけど、さすがに煩雑だなあ。
そして完全匿名日記においては、行動や持ち物から自分と推測されるような文章や写真は禁止。
完全匿名性を守るために、そういうことはこちらで書く。


もちろんここで「完全匿名ブログ始めました!」とか宣言したら元も子もないので、
もし始めても告知しないし、知ってる人には誰一人にも言わないと思います。当たり前だけど。