自民党の西田昌司と片山さつきが、国民主権と基本的人権を否定してしまいました - Togetterまとめ
・・・(どうリアクションしていいかわからない)
twitter上では、片山さつきと西田昌司が不勉強、バカだ、と言った声が多いけど、
↓のような意見もある。
つまり、彼らは人権のない日本社会を意図的に作り出そうとしている、ということなのだろうか。
また、ドキュメンタリー監督の想田和弘氏は、次のように自民党の「憲法改正案」への危惧を表明しています。
ドキュメンタリー監督、想田和弘氏が抱く改憲への危惧。 「自民改憲案を認めると、僕らの基本的人権が事実上なくなってしまうよ」 - Togetterまとめ
私も憲法のことなんかよく分かってはいない。日本国憲法の本で面白いのないかな、と思って調べてみたら、今風の本が出てきた・・・。
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そして、今の日本を憂う余り、貯めていた葬式代を選挙費用に投じて立候補した、94歳の候補者もおられるという・・・。
「友だちに手伝ってもらおうと思ったけど、もうみんな死んでいなくなってた」94歳無所属新人、蓄えた葬式代つぎ込み出馬…埼玉12区(スポーツ報知) - Y!ニュース URL
それから、これも良記事。
「権利行使には義務が伴う」というフレーズに対するよくある誤解
例えば、僕には選挙権がある。投票所に行って、国政の代表者を決めるための投票を行う「権利」があるわけである。そして、国には、僕(をはじめとする国民)が選挙権を行使できるよう、選挙を法律に基づいて実施する「義務」がある。「権利行使には義務が伴う」というのは、この場合、僕が権利を行使できるように、国家が義務を負うということである。
権利は義務の対価という意味ではないのである。
このように、「権利行使に義務が伴う」というフレーズは、国家対個人、あるいは私人対私人という関係において、一方が権利を実現するために、片方が義務を負うということを表現しているに過ぎない。権利は義務の対価である、という意味でこのフレーズを用いているのであれば、それは大間違いだ、としっかり知っておいたほうがよい。
ネットで誤解したまま使用している人が多いからといって、「権利行使に義務が伴うことは自然」などと間違った意味で使いたくはないものだ。気をつけておくにこしたことはない。