ヘルパーさんとエニアグラム

 エニアグラムと言うものが、むかし私の周辺で流行ってたのだ。といってもかれこれ干支が一周するくらい前の話である。


今ではWEBから自己診断テストもあって楽々チェック可。
http://www.enneagram.gr.jp/enneagram/test.html


 昨日のウリ坊さんの日記-2005-05-14 - うり坊が走る-を読んだときに、なぜか最初に連想したのは晩年に障害者手帳の一級を持ってた祖母のことでもなく、その祖母のところに来てたヘルパーさんのことでもなく、このエニアグラムのタイプ2のことであった。

 エニアグラムを一言で言ってしまうと質問から導き出される9種類の性格分析であり、その内のタイプ2の特徴の一つは「必要とされる必要」である。このタイプの人は「人を助ける仕事」につきたがる傾向がある。


仕事が存在しうるのは、必要があるからであり、その意味ではありとあらゆる仕事がなんらかの形で人を助けているのであるが、ここで言う人を助ける仕事というのはヘルパー、看護師、セラピスト、ソーシャルワーカーなどのように個人的に人と関わる仕事を指す。


もちろん、全ての人を助ける仕事に従事する人がタイプ2というわけでは全くないし、自分がどのタイプに属するかはそれぞれが質問に向かい合ってチェックしないとわからないのであるが、人を助ける仕事従事者達の中にタイプ2が占める割合は、世間一般におけるそれよりはかなり高いという話だったように記憶している。


 タイプ2な人達が集団を形成し意見を持つようになると、その集団内では一定の傾向というか、偏りが生まれると推定される。良い面も悪い面もあるが、悪い面として、おそらくおせっかいで思い込みの激しい集団になるのではないだろうか。


口の悪い言い方をすれば、「不幸な人を一生懸命必死で世話する自分の姿」に集団自己陶酔してしまうのである。こういう性質は、医療・福祉以外でも、政治団体や宗教関係者、教師の一部などにも見られるものである。


そして、そういう集団自己陶酔の場と言うのは一緒に陶酔できない人間には激しく心理的に苦痛なものである。集団幻想は、参加できないものには疎外でしかない。


また、このタイプの人は「自分の助けを必要とする困っている人の存在」を求める。そこに依存や共依存が生まれ、どろどろした雰囲気が漂ってしまうこともある。


テーマがテーマなだけに何も書かないほうがいいかなと思ったが、自分に起こった連想のメモとして書くことにした。あくまで個人的連想のメモであり、意見や批判とはなりえないが、コメントもトラバもOKなのでその辺はご自由に。